at the last Scene

2 懐旧 




 竜を操りながら遠ざかるティリロモスを振り返り、ユアーナは遠い視線を虚空に彷徨わせた。今、その時代を幻の中に蘇らせながら。
 新たな神としてアシフェルとメイジスラジアが光臨したその日、彼女はこの地へ下り立った。幼かったリーゼを連れて。


 代々そこに主を迎えるために建てられた巨大な一対の城を眺め、彼等は胸踊らせていた。今日のこの日から兄のアシフェルは白銀の揺らめきを宿した緋色の城に、妹メイジスラジアは漆黒に輝く闇の城に、主として迎えられたのだった。
「アシフェル兄さま、まるで夢のようだと思わなくて?」
 無邪気に微笑む闇の娘を、金に輝く青年はただ黙って見つめていた。
「兄妹でこんな素晴らしい称号を与えて頂けるなんて、まだ信じられない」
 簡素だが華美な赴きを漂わせるふたつの城の内装を見渡しながら、両手を合わせ夢見心地といった陶酔した表情で、メイジスラジアは小さく、しかしはっきりと呟いた。
「これからは私達、民を守り慈しんで行く神々の代表なのよね。私、このサムエルダムーシュをもっとずっとずっと素敵な世界にしたいわ。多くの人間とともに楽しく暮らしていきたいの。それでね、きっと私達以外にも人間ともっと近くで語り合いたいと思ってる神々がいると思うから声を掛けるわ。フォバレスの大地を人間と神々とが住めるようにするのよ! 素敵だとは思わなくて? 絶対、適えてみせるわっ」
 メイジスラジアは明るく目を輝かせ熱っぽく語った。
 アシフェルは妹の願いを、目を細め優しく微笑み見守っていた。
 それが彼女の女神としての自覚の目覚めであると、彼は微笑ましかった。
そんなおりだった。不意に風をゆるがす翼の音に彼等は気付いた。
 竜が彼等の城をゆっくりと凱旋している音だった。
「カリュッセからだわ」
 メイジスラジアは目を凝らし、竜上の人物を確認しようバルコニーへと飛び出した。アシフェルもその後を追った。
 継承の儀も済み、速やかにティリロモスへ送られたばかりの彼等にカリュッセからの使いが来たと思われ、はしゃいでいた気持ちが少し引き締まったような思いがした。
「アシフェル兄さま? あの方は?」
 竜にはふたり乗っていた。
 やがて城から少し離れた高台に舞い降りた竜の背から、小さな少女と見られる人影が下り立った。それを見ていたアシフェルが早急に踵を返し足速に馬の用意を始めた。
「兄さま……?」
 突然の兄の行動が理解できずにメイジスラジアのきょとんとした表情が向けられた。
「どうやら小さな少女のようだ。ここまで歩くには距離があるだろうからね、迎えに行ってくるよ。君はここで客人を迎える為の用意をしながら私達の様子を見ていなさい」
 一度振り向き、彼はにこりと微笑みながらそう告げると再び足速にその場を去って行った。
「わかりましたわ。お気を付けて」
 その返事はすでに届いていないと知っていて、それでも彼女は元気に言い放った。
 彼は彼の緋色の馬を走らせ、竜の舞い降りた高台へ向かった。
 神の馬はあっという間にその地へ着いた。
「アシフェル様ね?」
 馬の姿を見付けるなり、少女が駆け寄り、彼の瞳を見上げながら無邪気に笑いかける。
 彼は少し慌てながらも急いで馬を降り大地に跪いた。
 少女の胸に光る三首竜の紋章。王族にただひとりと言われる竜を統べる者にのみ与えられる印。即座に彼は少女の身分を理解し、それでも始めてみるその姿に少々驚きとためらいが見えた。
「アシフェル・リロスと申します。そしてこの様子を見ている者が、私の妹メイジスラシア・リロスと申します。此度、光神の称号ならびに闇神の称号をわけていただいたばかりの者です」
 彼は頭を下げたままそう告げた。
「楽になさって下さいねアシフェル様。私、リゼルファイゼル・ドゥシス・ユラクスと申します。リーゼとお呼び下さいね。それから、今日どうしてもあなた方にご挨拶がしたくて無理にお願いして竜を出して下さったユアーナよ」
 少女が名乗ったその名に、彼はしばし呆然となった。ドゥシス・ユラクスとは『竜と月の守護者』という意味を持つ古典偽造用語だった。古い時代、神儀に用いられた造語。とてもだがそんな重い名を担う程の者には見えない。まだ幼い少女だからそう思えるのか。
 彼がしばし懐疑的になっている所へ 落ち着いた女性の声が響いた。
「ユアーナ・ムロウ。リーゼ様のお付きとしてやって参りました竜使いです。以後お見知りおきを」
 リーゼの後ろで竜の首を撫でながらしっとりとした笑みを向ける。
「アシフェルです。よくおいで下さいました。妹が城で待っておりますゆえどうぞ。リーゼ様は馬の背へ」
 彼が合図すると、馬は足を折り低い体制になった。あまり馬の好まないこの体制で、それでも静かに主人の指示を待つ。
「まぁ! 宜しいの?」
 少女は小首を小さく傾げ伺った。
「はい、ムロウ様も……」
「私のことはどうぞ呼び捨てで、ユアーナとお呼び下さって結構です。その方が耳慣れしていますから」
 ユアーナは微笑んでアシフェルの言葉を止めた。その様子をリーゼがくすくすと笑いながら見ていた。
「では、ユアーナも馬上へどうぞ」
 彼は素直に従い、言い直し言葉をつなげた。
「いいえ。リーゼ様をお乗せして下さい。私はその上を行きましょう。そのために翼があるのですから」
 そう言うとユアーナの背に大きな黒い滑らかな艶を持った翼が、蝶の羽化する姿のように開き始めた。カリュッセの民の、特徴のひとつだった。
「では私がリーゼ様を城までお連れしましょう」
 驚くこともなく、その場ですぐに彼はそれに従った。


「ようこそティリロモスへ。お待ち申し上げておりましたわ」
 城へ着くなりメイジスラジアの元気な声が響いた。
「始めましてメイジスラジア様。お会いできたこととても嬉しく思います」
 馬から下りたリーゼがメイジスラジアのもとまで駆け寄った。もともと小柄なメイジスラジアよりもさらに少し背の小さな少女は屈託なく笑う。
彼等はともに打ち解け、特にリーゼとメイジスラジアに関しては互い理解を深めたようで、気が合うらしくあっと言う間に仲良くなっていた。
 リーゼにしてもメイジスラジアにしても人好きはされても嫌われることはあまりないだろう憎めない天性の性分があるらしかった。
 それから彼等のもとへリーゼはユアーナとともによく遊びに下りてきたものだった。
 その度に彼等はよく喋り、メイジスラジアの歌に耳を傾けたものだ。それがこんな結末を迎えようとはまさか思いもしなかった。
 メイジスラジアとその歌をこよなく愛し、慈悲と庇護の心に溢れていた彼が、メイジスラジアの失踪からずいぶんと変わってしまったものだとユアーナは遠い過去を思い返し、 もう居ないアシフェルに向けて最後の微笑みを送る。







 疲れていた
 恐れていた
 愛することを
 見つめることを
 
 君に募る愛しさ抱いて
 私は今 竜に乗り
 奇跡の旅の門出に立った
 言えなかった言葉を胸に
 
 愛していた君だから
 願いはひとつ
 君の幸せを 見つめて生きたい
 それが唯一 私の願い

 疲れた心が
 眠りに着く今


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: 表紙 :